私の好きな懐かしい昭和の懐メロ(Easy Listening)
ジェットストリームは 毎晩深夜0時から ミスター・ロンリーのBGMと城達也氏のすばらしいナレーター ではじまる人気のFM放送の音楽番組 でした。
就寝前の寛いだ時間にこのFM放送を聞くと 心身ともに癒されました。
このYoutubeの最初の2分間のナレーターが毎晩流れていました。
イージー・リスニングとは、ジャンルにかかわらず映画音楽や様々気軽に聞く音楽をいいます。古くは戦後50年代からポップミュージックやジャズとともに多くの曲がヒットしました。
最近ではYoutubeなどでこれらのなつかしい曲が手軽に聴ける時代になりました。このサイトでは私にとって古い曲や過去の見た思い出の映画音楽などからネット上で拾った好きな曲です。
もう40年前の曲ばかりですが、当時は歌詞の意味など知りたくても簡単に調べることもできずに、FM番組を録音したりLPレコードを買って英語の勉強もかねて何度も聞いてものでした。
とにかく私のような団塊世代のオッサンが輝いていた若い頃の多感な時代に聞いた懐かしい曲をネットで見つけて個人的な思い。「それがなに?」といわれそうな与太話ばかりですが、感慨深い思い出やどうでもいいことを書いています。
同年代の方で当時の思い出に共感いただける方がいればうれしい限りです。
<<My favorite songs which remind me of the good old days >>
1950年代~
団塊の世代の私にっとってこの時代はまだ中学、小学校時代で「戦後はようやく終った。」という社会情勢で日本はまだまだ貧しい時代でした。戦後のベビーブームで小学校の給食jには米国援助食料のあのまずい脱脂粉乳が提供されていました。いまは韓流ドラマが流れる時代ですが、当時のテレビ番組ではポパイやバックスバニーなどのアニメや米国製のドラマやローハイドなどの米国製の西部劇が流れていました。私のホームページで戦後伊丹空港が米軍基地であったころに駐在されていた方から映画「さよなら」の舞台が伊丹空港であったこと。など昔のことを教えてもらいました。
この時代は日本はまだまだ発展途上国であり、やがて新時代の生活必需品として宣伝された3種類の耐久消費財 .である白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器を持つ消費時代へと移行していった時代です。バイクの免許を取った時に頂いた免許ケースの道路標識板は当時は四角でYield, detour,cautionなどと英語併記されていました。
この曲の歌詞が完全に思いだせません。あらためて歌詞を確認しました。Got Talent のYou tubeから見つけました。
先日孫を連れて池田市のダイハツ工場にあるヒューモビリティワールドを見学する機会がありました。そこには1957年発売されたなつかしいミゼット(軽三輪自動車)がありました。 展示説明板には当時のサラリーマンの平均年収が365千円の時代に販売価格が23万円であったとの説明がありました。
いま思えばこの軽自動車の存在が農業や小売商店での輸送・流通手段として日本社会に大きな貢献をしています。日本の発展は軽自動車の普及とともにありました。 たぶん外国の輸入車に頼っていれば自動車産業も育たずにその後の経済成長も果たせなかったでしょう。 いまでは資源や環境問題を考える上で軽薄短小のポリシーは大事です。
ケ・セラ・セラの歌がよく流行ったのは私が中学生のころでしょうか。
英語表現でwhatever will be, will be を「なるようになるわ」と訳しているのをいまでもしっかり覚えています。
慕情、( Love Is a Many-Splendored Thing)1955年映画 のテーマソングです。ちょうど香港が舞台となったイギリス人を父とする混血娘で女医のハン・スーイン。戦死した軍人の夫を想う失意の日々を送る彼女は、医療への献身に生きるすべを見出していた。そんな折、彼女はアメリカの新聞記者マーク・エリオットと出会う。お互いに惹かれ合うものを感じていた2人だったが、その幸せは長くは続かなかった……。
70年代の海外パック旅行ブームの香港編でBGMに使われたことを覚えています。
テネシー・ワルツ
この歌の歌詞でテネシーワルツを恋人と踊っていて友達に出会い彼氏に紹介したら、彼氏は友達をナンパしてしまった。との歌詞ですが、どうでもいいことですが、それではそのBeautiful Tennessee Waltzの曲はどんな曲なんかツッコミをいれたいところ。。
夏の日の恋 Summer Place
この曲は1959年の映画「避暑地の出来事」のサウンドトラックで演奏はパーシー・フェイス楽団です。しかし私がはじめてこの曲を聞いたのは昭和47年で当時はオーディオコンポブームで、欲しかったTEACのオープンリールのテープデッキを社会人となって初めてもらったボーナスで購入。やっと思い通りの機器が揃った思い出があります。その時に聞いたこの癒し系の綺麗な曲ですが、いま聞いても当時の感動がよみがえります。
エーゲ海の真珠 ポール・モーリア
「恋はみずいろ」など音の魔術師といわれるポール・モーリアの曲はどれもすばらしいものばかりです。中でもこの曲が一番すきな曲です。
世界の果てに The end of the world ブレンダ・リー
亡くなった私の兄貴が大のブレンダ・リーのファンでいつも下手に歌っていたのを聞かされているうちに好きになった曲です。この曲を聞くたびに思い出します。
あの彼女の張りのある声量がいいですね。たしか当時トヨタカムリのコマーシャルソング(Why does the sun go on shinning..)の出だしが印象に残っています。
Brenda Mae Tarpley (born December 11, 1944), known as Brenda Lee, is an American performer and the top-charting female vocalist of the 1960s. She sang rockabilly, pop and country music, and had 47 US chart hits during the 1960s, and is ranked fourth in that decade surpassed only by Elvis Presley, The Beatles and Ray Charles.
いまでも梅雨の時期には流れている曲です。この曲と定番は「雨に濡れても・Rain drops keep falling on my head」です。 この時代にはビキニ姿のお嬢さん,夕日に赤い帆など当時の懐かしい多くの曲がありました。
60年代~
東京オリンピックが1964年に開催され新幹線開通とともに60年代はもはや戦後が終わったといわれた時代です。 66年6月にビートルズの日本公演がありましたが、Peter Paul and Marry(P.P..M.)やジョンバエズなどが登場したフォークソングブームやグループサウンズが60年代後半にぎやかな時代でした。
中でもP.P.M.のPuffは、当時ベトナム戦争中だったアメリカの若者の間で、そのメルヘンチックな歌詞の内容とは裏腹に、徴兵忌避の反戦歌として歌われたといわれます。
しかし、作詞者のリプトンはこの解釈が広がり始めた初期の頃から「パフ」の歌詞に反戦のメッセージがあるとの解釈を否定していたようです。
いつの時代もよくあることですが、当時の反戦運動家が勝手にそのような解釈を加えベトナム戦争反対運動に利用されたのでしょう。
魔法の竜(puff)はいつも遊んでくれていたジャッキー少年が来なくなり、洞窟にもどってしまった。なんでこの歌が反戦歌なのかよくわかりません。同時期には世界一有名な反戦歌として知られる「花はどこへ行った」(原題 Where have all the flowers gone?)や「leaving on the jet
plane」が、PPMも歌っています。日本では、『パフ』は小学校三年生向けの音楽教科書に掲載され、また幼児向け番組で放映されるなど子供向けの曲としてよく知られています。
Leaving on a Jet Plane (悲しみのジェットプレーン)はP.P.M.よりも John Denverの曲として知られているかもしれません。John Denverといえば日本ではTake me Home Country road (故郷に帰りたい)の方が有名です。
ちょうどこの歌がはやった60年代後半は多くの若者がベトナム戦争で徴兵され、戦地へ彼を見送るせつない朝の情景のラブソングです。いつもどれるかわからない。
Oh baby I hate to go. ああ僕は行きたくない。という最後のフレーズがもの悲しい曲です。
イムジン河 フォーク・クルセイダーズ
1968年にザ・フォーク・クルセダーズが歌ったものである。臨津江 (リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、高宗漢の作曲、朴世永の作詞によるプロパガンダ音楽であった。フォーク・クルセダーズがレコード化する際にレコード会社の東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。紆余曲折があってレコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し発売自粛となったようである。政治的なことを抜きにして、とても綺麗な曲です。ソウルから板門店の見学ツアーに行くとイムジン川を越えこの歌を思い出すとともにはDMZで休戦協定のため自然がそのまま残っている野鳥の宝庫です。
サウンド・オブ・サイレンスはS&Gのナンバーで映画「卒業」に使われた曲です。いい曲ですが、歌詞の意味が抽象的で何を主張しているのかよく解りません。そもそもタイトルから「沈黙の音」って意味不明ですね。しかし私の好きな曲です。この「卒業」の映画では他にミセスロビンソンやスカボロフェアーなど一世を風靡したS&Gのヒットナンバーが登場し改めて聞くとあの時代にタイムスリップします。
この歌はフォークソング全盛の時代に加藤和彦と北山修/詞:北山修/ 曲:加藤和彦でヒットしていました。歌詞もリズムもいいですね。当時の大好きな歌のひとつでした。
その後80年代になってフォーク・グループだったブラザース・フォアが英語版でうたっています。
(日本語 歌詞)
1971年6月19日 大阪毎日ホール 北山修・ばあすでい・こんさあと
命かけてと誓った日から すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て 美しいといった 二人の
心と心が 今はもうかよわない あの素晴しい 愛をもう一度
トム・ジョーンズの曲としてこの「思い出のグリーン・グラス」
は有名ですが、他にも多くの歌手が歌っています。私の好きな歌の一つなのでいまでも歌詞を覚えています。
この歌の原曲では死刑囚が夢の中でなつかしい故郷の芝生を思い出すもの悲しい内容です。
洋の東西を問わず故郷への思いはだれもがもっているものです。
3番の歌詞に Then I awake and look around me..... And I realize yes I was only dreaming. 夢から覚めて現実に戻ってみると、壁に囲まれそこには刑の執行前の悔悟牧師に付き添われる情景が出てきます。
日本語版ではこのフレーズがない森山良子の歌詞が一般的によく知られています。
歌詞も「汽車から降りたら、小さな駅でむかえてくれるママとパパ」「手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの」となっていて、原曲の歌詞の「金髪でチェリーのような唇のメアリーさんが駈け寄ってくる。」のではなくて、彼が迎えてくれています。 それでいいのです。
1970~
70年に大阪万博が開催され昭和元禄といわれた高度成長時代にはいりました。我が家にもカラーテレビになりました。
今思えばこの時代が戦後復興をなしとげ日本が一番イキイキとしていた時代でしょうか。戦後生まれの私も団塊で「ニューファミリー」と呼ばれた時代です。
マイカーブームの到来で1家に1台が実現しつつありました。
ベトナム戦争によ財政悪化でついに71年8月にニクソンショックで円が1ドル360円の固定相場から変動相場に変更されました。ベトナム戦争もようやく75年に終結しました。印象深いのは固定相場当時グレープフルーツは日本では輸入高級果実でした。なんといま調べてみると当時は
1玉500円から700円ぐらいしていたとのこと。今の価格に直すと1200円から1700円ぐらいである。 そして日本の高度成長期続きJapan as No.1といわれる80年代へと進みます。
映画Love Story(ある愛の詩)の主題歌だったでしょうか。Where do I begin.という題で大ヒットした恋愛映画でした。
この映画の中で出てくる台詞で「愛って決して後悔しないこと。」Love means never having to say, you are sorry. が、知る人ぞ知る世界ですが、当時はずいぶんと流行りましたね。
一般的な I am sorry。でなくYou are sorry .としています。 ペーバーバック小説本の表紙にもこの台詞が書かれていました。 ジェニーがオリバーと喧嘩して仲直りをする際に彼女が言った台詞です。
若気の至りで両親の反対を押し切って学生結婚したものの生活が厳しい中でひたむきに彼が法律家になるために自分の夢を捨てて生活を支えてきた。 しかし悲運にも彼女が不治の病で亡くなり最後まで結婚に反対していた頑固な父親が息子を訪ねてきた時に彼女の死を知り、オリバーから父に言う台詞が「愛って決して後悔しないこと。」なかなかの名訳です。
この時代はやはりこの歌「翼をください」を抜きにして語れないほどよく歌われた歌ですね。彼女の高音の歌声はすばらしいです。
また震災前に夫婦で活躍の「紙ふうせん」で今も活躍の後藤悦治郎と平山康代が成人の日のアトラクションで伊丹文化会館(東リ・いたみホール)でこの歌を聞きましたが、改めて感動しました。
My wayはフランク・シナトラはじめ多くの歌手が歌っています。日本語バージョンでも布施明や尾崎紀世彦が歌っています。 布施明の歌う歌詞が原曲の歌詞に近いので一般的にカラオケの歌詞に使われています。
時としてこれから新たな人生の船出に向けた結婚式の余興の歌としても内容は合いますが、歌が長くちょっと単調なので難しい歌です。ノリがわるくて下手に歌えば顰蹙を買います。
この時代に「いちご白書」Strawberry statement という学園紛争を扱ったヒット映画がありました。その映画の主題歌がこの「サークル・ゲーム」です。
映画では最後のシーンで機動隊と壮絶に揉みあう場面のBGMで流れていたので今も覚えています。
その後「いちご白書をもう一度」という曲がヒットしましたが、歌詞の内容はこの映画を昔みた時の思い出をノスタルジックにうたったものです。後から知ったのですが歌手のアグネスチャンが香港でのデビュー曲にしたのがこのサークルゲームの曲です。
John Denverの代表曲、Country Roadsです。1971年に発売されて大ヒットしました。
なんと歌詞に出てくるウエストバージニアの情景を歌っており、2014年にヒットから43年目にウエストバージニア州の4番目の州歌になったとか。 次回の第24回ボーイスカウト世界ジャンボリーの開催場所がウエストバージニアです。
カーペンターズの歌でこの曲を抜きには考えられないのがTop of the World です。軽快なリズムですがなかな歌詞が覚えにくい歌です。
Top of the World とくらべてこの曲は昔好きなた歌がラジオから流れるのを待っていたことを思い出して振り返る静かな内容の曲です。覚えやすい歌です。
40年前に見た映画ですが、この映画で使われているBeeGeesの曲に印象深いものがあります。まず映画「小さな恋のメロディー」の主題歌、Melody fair ですが、最近あらためて聞く機会があり、思い出して歌詞の意味にこだわりました。
まずこのMelody fairのfairという言葉。なかなかやっかいで、フェアプレーの公正なという意味もありMy fair lady(私の貴婦人)という意味や童謡のロンドン橋が落ちるという歌で最後にMy fair lady が出てきます。
この映画の題名は”Melody”ですのでMelody fair はたんに ”メロディーちゃん。”ということでしょうか。
どうでもいい話ですが、歌詞の適訳にこだわり、気になっています。
この映画で使われているこの曲もいいですね。